島根県川本町・湯谷温泉の紹介
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湯谷温泉の歴史
湯谷温泉の歴史は室町時代前期までさかのぼることができます。当時この地を治めていたのは小笠原氏。すぐ近くにある石見銀山を巡って戦いが繰り広げられ、大内氏、尼子氏に挟まれる。最終的には大内氏を受け継いだ毛利氏に従うことになる。
そういう時代からこれらの戦国武将たちの傷を癒してきたのがこの湯谷温泉です。
川本町の歴史
島根県は東西に長く、その丁度まん中にあるのが川本町です。中国地方最大の河川江の川が流れていて、その川の流れを利用した水運の中継地でした。上流の広島県の三次市から川本までは川の水深が浅く小さな舟でしか運航ができなかったそうで、川本が中継地となり船荷を積み替えたり、船頭が休む船宿、酒場などがたくさんあり古くから栄えていました。この地は広島方面へ抜ける街道の通り道でもあり、中心地にある弓のような曲道に市場ができ弓市と呼ばれました。舟で上流や下流から運ばれてきた様々な物が売られ多くの人が集いました。
砂鉄を用いた、たたら製鉄が盛んに行われていました。町の中に製鉄炉が作られて最盛期では400名ほどがたたら場の仕事に従事していたそうです。たたら製鉄には強い火力が必要で送風をする機械などがない時代に発明されたのが、足踏み式の天秤ふいごです。ジブリ映画の「もののけ姫」の中で女性たちがたたら場で働いているシーンにも出ていました。この天秤ふいごを江戸時代に発明した人が川本に居たという記録の碑が弓市八幡宮の境内に残っています。
川本町の災害の歴史
川本の町は江の川の氾濫とともにあったと言っても過言ではないほど水害、土砂災害の多い地域でした。一番最近では2018年夏にありました。その前は昭和47年というように数十年に一度は起きていました。その度に堤防を作り直し、人々が協力し合ってきたという話が残っています。
話は変わりますが火事も多かったと記録に残っています。町の居住地はこういった災害で流れ込んだ土砂が作ってきた河川敷にできた狭い平地に広がっていて家々は密集して建っていたことから、一度どこかで火が上がると一気に燃え広がってしまうということでした。昔はすべて木造の住居で燃えやすかったのでしょう。このような大きな災害の時には町で製鉄炉を営んでいた三上家が人々に施しをしたり、ほかの地域の人々が少しづつお金や食料を出し合って今でいうクラウドファンディングのような助け合いが人々の間で起こっていたそうです。こういった誰かのために動くこと、誰かを助けるという行動を起こせるのは災害の多い日本で育まれた精神なのかもしれません。
川本町の近現代の歴史
川本は江戸時代は石見銀山領内で天領。明治に入って川本村として始まり、川本町そして邑智郡の郡都として発展してきました。昭和に入ってからは国鉄の三江線が通りました。昭和40年に川本高校(現 島根中央高校)の吹奏楽部が全日本吹奏楽コンクールの全国大会で金賞受賞、その頃から「音楽のまち」と呼ぶようになりました。時代が進み、日本は少子高齢化が進み、川本も例外ではありませんでした。現在は高齢者率45%、人口は3,200人です。2018年3月31日にはJR三江線が幕を下ろし廃線となりました。廃線までの数年間は観光客が増えて2両編成の列車が満員となる程の活気があったそうです。
「音楽のまち」として発展した川本町の未来を考えていく上で、もう一度”音楽”をテーマに発展できるよう考えた結果、切り口としてこの作曲コンクールを開催することができました。この作曲コンクールが町の発展につながって行くことを願っています。
湯谷温泉の泉質について
「ナトリウムー塩化物泉」(低張性弱酸性冷鉱泉)
食塩を含む温泉で保湿&保温に優れた効果がある。
熱の湯:塩の成分のパックで湯冷めしにくい。
傷の湯:塩の殺菌効果で傷に効く。
適応症:切り傷、末梢循環障害、冷え性、うつ症状、皮膚乾燥症等。